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■ 放浪の果てに山里の仙人になれるか?

    その仙人に出会ったのは、私が例の「激痩せダイエット登山」で、日本海から太平洋まで
    一気に歩き通すという、バカバカしいと言えば、まったくバカバカしい、意味が無いと言えば、
    まったく意味の無い旅に出発して、まだ二日目の時だった。

    旅の記録に詳しく書いたが、マムシにビビッて親不知からの北アルプス突入を断念した私
    は、いったん北に大きく迂回し、今度は糸魚川経由で、そのとき再び山道にさしかかろうと
    していた。

    すでに二日で40キロ以上もアスファルトの上を歩き続け、まだ旅なれない足が、ずきずきと
    痛んでいた。今夜の宿泊予定地である中俣の避難小屋までは、あと3時間半か、4時間
    ぐらいはかかるだろうか。荷物は重いし、おまけにポツポツ雨まで降り出している。

    私は林道にザックを放り出し、ノロノロと雨具を取り出した。いちど地面に座り込んでしまう
    と、再び立ちあがるのがひどくおっくうだった。いや正確に言えば、旅そのものが、すでにし
    ておっくうだったのかも知れない。

    ひどく緩慢な動作で、カッパを着たりスパッツを取り着けたりしながら、私はいま登ってきた
    ばかりの道を、意味も無くぼんやり眺めていた。すると、100メートルほど先のカーブから、
    不意にコウモリ傘が現れた。

    「人だ…」
    なぜか珍しいものでも見たように、私は当り前のことを口にした。ザックがないから、登山者
    ではないだろう。といって、短パンにスニーカーという格好は、林道の工事関係者や地元の
    人間にも見えない。
    年は50前後だろうか、白髪だが贅肉の無い締まった体つきで、仙人かなにかのように軽快
    に坂道を登ってくる。

    「こんにちは」
    10メートルくらいまで距離が縮まったところで、どちらからともなく声を掛け合った。
    「やあ、やあ、どうしました旦那さん、こんなところで」
    仙人はなぜか、私のことを“旦那さん”と呼んだ。そして自分はこの下の最後の部落に昨年
    移り住んできた者で、小さな畑を耕したり、本を読んだりして暮らしている。いまは昼飯前の
    散歩の途中なのだ、と言った。

    文章にすると、ずいぶん唐突な自己紹介だが、この時はこれで特に奇異にも感じなかった。
    私は私で、自分のことを素直に喋った。昨日から太平洋に向かって歩き始めたところで、親
    不知ではひどい目に遭って云々…。なぜか言葉がよどみなく出てきた。

    アジアやアフリカの辺境を旅していると、日本人の旅行者はおろか欧米のバックパッカーに
    さえ何日も会わないことがある。そんな時、まさかこんな場所でと思うような田舎でたまたま
    日本人と出会って、お互い顔を見るなり息せき切って話し込んでしまう。
    そんな経験が、バックパッカーなら一度や二度はあるはずだ。感覚としては、それに似ている
    気がする。

    この山旅で、その後も多くの人に私は出会ったが、この仙人に対してのように最初から自由
    に喋れた相手はいなかった。
    いい歳をして、特に意味もないこんな山旅をしている自分が恥ずかしかったし、いきなりそん
    な話をされたら、短い休みを遣り繰りしている相手が、不愉快になるのではないかと、常に
    恐れてもいた。

    だが彼に対しては、そんな気遣いなど無用だということが、なぜか最初からわかっていた。
    たぶん挨拶を交わした瞬間から。あるいはその前から。

    我々はしばらく一緒に歩くことにした。歩きながらも、多くのことを喋った。
    仙人は54才で、ここに移り住む前は、静岡の方で英語の臨時教師のような仕事をしていた。
    オウム事件の後だったから、他県のよそ者が家をさがすのは大変だった。部落の人の信用
    が得られず、ずいぶん苦労した。でもどうしても、山里に住みたかった。と仙人は言った。

    若い頃から山が好きだった。自分の足で、日本中を歩いた。何年か前までは海外にもよく
    行った。中国を長く旅して、雲南やチベット、カイラスにも行った。

    「…カイラス、いいですねぇ」と私は言った。「自分もいつかは、行ってみたいんですよ」

    20分ほど、そうやって歩いたろうか。ある見晴らしの良いカーブで、仙人はふと立ち止まっ
    た。
    「どうですか、この眺め、素晴らしいでしょう。僕はこの墨絵みたいな景色が気に入ったんで
    す。いろいろ見て回ったのですが、ここに住むと決めたんです」
    深い谷をはさんで、明星山の岸壁が目の前に迫っていた。谷からは雲が湧きだし、岩肌に
    所々立つ濃い緑が雨に煙っている。
    「ええ」
    と私は答えたが、本当を言えば、それを美しいとは感じていなかった。むしろ凛として冷たく、
    厳しいもののように、その風景は見えた。

    それまでの会話で、仙人が一人で暮らしているということは、察しがついていた。結婚はし
    なかったのだろうか。奥さんや子供は、いないのだろうか。あるいは見捨て、見捨てられた
    のか…。さすがにその話題には、触れることができなかった。

    「さあ、さあ、それじゃあ旦那さん、僕は、そろそろおいとまします」
    仙人が言った。
    「それで、もしかして旦那さん、もし昨日みたいに迷うことがあったら、どうぞ引き返して、ウチ
    に寄っていってください。下の部落の一番上ですから。でもきっと、大丈夫ですよ」
    「ええ、もし迷ったら、でもそうしますよ」
    「ええ、ええ、○○と言えば部落の人間はみんなわかりますから。一番上ですから」
    「はい、ぜひそうします。もし迷ったら、きっと寄らせてもらいます」
    「ええ、でも大丈夫ですよ」
    「そうだといいんですが」

    旅のずっと後半になって、この時の会話をふと思い出すことがあった。たぶんゴールが目前
    に迫り、余裕が出たのだろう。どうせなら彼の家に行き、もっと話を聞くべきだったと、後悔し
    た。一泊くらいはなんでもなかった。先を急ぐことより、もっと大事なことがあったはずだ。

    人生を旅に生き、好きな場所に出かけ、好きなものを見る。年をとってからは山里に暮らし、
    小さな畑を耕し、晴耕雨読の生活を送る。それはある意味、理想の生活のはずだ。確かに
    そう思う。
    だがその一方で、彼があの谷の風景を毎日ひとりで見ていると知った時に感じた、恐れに
    も似た感情は何だったのか。

    ひとつ言えるのは、晴耕雨読の山里の仙人には、自分は決してなれないだろうということ。
    60を越えても、70になっても、たぶん一生ムリだろう。
    欲望ではちきれそうな焼肉オヤジだのフェロモンだけで生きているギンギンお姉ちゃんだの、
    どうしょうもなく甘ったれた小悪党だのクズ男だの、そんな連中の中に、身を置いて漂ってい
    なければ、私は安心して息ができないはずだ。

    オレは仙人になれはしないし、またなりたくもない。
    一生俗界に住み、いい年をして酒の女の美食のと、ギャーギャー騒いでいきていくんだろう。

    彼はどんな旅を経て、あの場所に行き着いたのだろうか。
    そしていま、どんな家に住み、どんなモノを食べ、何を感じて暮らしているのか。
    彼のようにはなれはしないと、わかっていながら、なぜかそれが今も知りたくてたまらない。

    
 朽ちかけたプロテスタント教会の前で  Asian Latino
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フィリピン・パクディンの子供達 1990